1945年4月30日、ラジオがヒトラーの自殺を報じた同じ日に、ウェルナー・フォン・ブラウンはロケットチームのメンバーと共にアメリカ軍に投降しました。
その後、アメリカに渡り、1955年に帰化してアメリカ人として一生を終えます。はじめは陸軍に所属、「ナチスの協力者」「戦争犯罪人」「宇宙旅行の亡者」と呼ばれながらも、ロケットの研究を続けました。スプトニークで旧ソ連に先を越されたアメリカが、エクスプローラの打ち上げで面目を保ったのは、フォン・ブラウン博士とそのチームの努力の結果でした。
それからは、NASAの主要な地位を占め、アポロ計画が本格的に進められる中、サターンロケットの開発をし、ついには人類を月に送り込むことに成功しました。ヒューストンの管制センターで、送られてくるアポロ11号の着陸の映像を見、月面を歩くアームストロング飛行士の姿を見て、こう叫んで泣き続けたと言われています。
「私の人生が花開いた。見ろ、元気に月面を飛び跳ねているじゃないか」
1972年、NASAを退職。
そして、1977年、ウェルナー・フォン・ブラウン永眠。おそらくは、最後まで永遠の宇宙少年・ロケット少年であり続けたに違いありません。